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      【京論壇2016】議論進捗報告:社会的正義分科会

      この文章は2016年7月29日よりhttp://jingforum2016.hatenablog.comで公開しました。

       正義に普遍性はあるのでしょうか。これはなかなか大きな問いです。西洋政治哲学の文脈では長らく論争が続けられ、未だに決着はついていません。

      一方で、この問いにあまりピンとこないという人もいるでしょう。日本語の「正義」と英語の「justice」は意味が異なるという話もあります。ここで問われているのは、公正の原理としての西洋的な意味での正義ですから、あまり実感がわかないかもしれません。この分科会の議論でも、そもそも「正義」とは何のことなのかについて、各人の認識の幅があることがわかりました。

       ただその一方で、この「普遍的正義」というのは場合によっては、非常に政治的なキーワードにもなりえます。一例をあげましょう。中国ではここ数年、「普遍的価値」(=自由や民主主義、人権など)を受け入れるのかどうかについて、せめぎ合いが続いています。2013年には、大学の教員に対して「普遍的価値」など7項目を教えてはいけないという通知が出された(「七不講」)という報道もありました。普遍とは異なる「中国的な価値」があるという考えが根強いのかもしれません。

       これを聞くと、日本の方は理解しがたいと感じるかもしれませんが、次の例の場合はいかがでしょうか。アメリカがアフガニスタンやイラクで戦争を進めた論理として、それは「正義の戦争」なのである、というものがありました。これを考えると、「普遍的正義」という言葉に見え隠れする主観的ないし独善的なニュアンスも少しわかる気がします。

       この分科会で議論したいと考えているのは、まさに「普遍的正義」があるか、あるとすればそれは何か、という問題です。これは言い換えれば、西洋由来の「正義」という概念がアジアの国である日本や中国に当てはまるかという問いでもあります。僕自身は、個別の事例と向き合い、一人の個人として対話を行えば、一致できる点があるのではないか、という仮説を持っています。それが正しいかどうかは、分科会の議論を通じて明らかになっていくでしょう。

       「何が正義であるか」という抽象的な問いと、正義が問われるような具体的な事例を往復しながら、各人が持っている正義感は何か、それらがどう折り合えるか、ということを議論していく形式をとることに決まりました。また、「正義」は様々な文脈で出てきますが、どのような政治が望ましいかという判断基準としての正義が一番議論しやすいため、そこに絞ることにします。

       現在、正義が問われる具体的な事例として、2つ検討しています。一つは富の再分配の問題であり、もう一つは福島・沖縄の問題です。後者はわかりにくいと思うでの補足をすると、国策によって一部の地方が犠牲になるということをどう捉えるか、ということです。原子力発電所も米軍基地も、日本全体にとって必要なものであるとこれまで多くの人にみなされてきたにもかかわらず、その立地は特定の地方に集中しています。共通するのは危険施設であるため大都市近郊にはおけないために、地方に巨額の補助金と共に「押しつけ」るという構図です。(「押しつけ」かどうかは議論が分かれるところでしょう。)具体的な事例は今後もう少し増やしたほうがいいかもしれません。

       日本側のメンバーだけでまず議論してみるということを既に始めていて、それぞれの「正義」観が大きく異なっている点、意外と一致する点などが見つかり、今後の議論がさらに楽しみになる展開です。

       以下は個人的な感想ですが、議論を通じて考えたことで、他の分科会にも当てはまりそうなことを、2点書き記したいと思います。

       1点目は、過度な一般化には慎重であるべきだということです。日中の学生が議論するという形式上、どうしても「日本人は〜」「中国人は〜」という話になりがちです。しかし、日本人であるからといって果たしてどれだけ日本人のことを知っているのでしょうか?分科会メンバーの一人は子供の頃アメリカに長期間住んでいたために、ある時冗談で「日本の代表ではないね」という話になりました。しかし本当は誰も「日本の代表」ではないのです。僕は日本生まれの日本育ちですが、平均的な日本人像ないし、平均的な日本人の意見なるものがあるとすれば、それとは少なからず逸脱していると思います。しかし外交官として日本政府の見解を代表しているわけでもないので、それで何の問題もないでしょう。もちろん議論の結果、これはやはり日本人と中国人の差であるとしか考えられないということもあるでしょう。しかしそのような結論を出すことには極力慎重であるべきだと考えます。

       2点目は、専門的な議論になることを避けるべきでないということです。確かに学生同士の議論は学者による議論に及ぶべくもないし、それとは違った次元の議論をするというのは賢明な戦略ではあるでしょう。ただそのことが、専門的な事柄に禁欲的に触れないことであるかというと、それは全く異なることだと思います。専門的な知識は時に論点を明確化し議論を整理することに役立ちます。努めて専門的であるべきだとも思いませんが、議論の中で専門的な内容に突き当たったならば、それを回避したり曖昧に放置したりするのではなく、しっかり調べることが必要かと思われます。

       「正義」というのは表面的な事実認識の違いを超えた、根本的な価値観に関わってくるものです。それだけに却って折り合えない部分もあるかもしれませんが、そこを互いに理解しあうことは非常に大きな意味を持つでしょう。これから約1ヶ月間、更に内容を深めていって、有意義な議論ができるように努めていく所存です。

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